徳山動物園の大人気者!「マレーグマ ツヨシくん」ドットジェイピー|徳山動物園とツヨシくん

徳山動物園の人気者マレーグマ「ツヨシくん」。ツヨシくん体操もあるよ!

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徳山動物園の「歴史」と「今」。

写真4.jpg昭和30年の徳山市街。中央が徳山公園と毛利球場。徳山動物園がオープンしたのは昭和35年3月20日。徳山市制25周年を記念し、開園されました。設立に尽力したのは、当時、市長だった故黒神直久さん。「徳山市史」によると、黒神市長は昭和32年3月の市議会で動物園建設に意欲を示し、徳山藩主の屋敷があった毛利氏邸宅地の徳山公園内に動物園開設を目指し、整備を進めました。
 昭和34年10月には、市議会で動物園建設計画書が可決され、入り口道路も整備し、翌年、全国47番目の動物園として開園したのです。当時、県内では唯一の本格動物園であり、各地から来場者が駆けつけました。市史では、「動物園の実現は、労働組合や市民の要望だった」という記述がありますが、その裏には、自ら大の動物好きで、市民、とりわけ子どもたちの喜ぶ顔が見たい、という黒神さんの深い思いがありました。
 遠石八幡宮の宮司だった黒神さんは、戦後間もない昭和27年、市長に就任。翌年、徳山競艇を誘致しました。空襲で焼け野原になった徳山にとって、競艇の誘致は財源確保に必要と考え、黒神さんは一部の市民の強い反対もありましたが、競艇場誘致を実現させました。だからこそ、競艇場のように限られた人だけではなく、誰もが安らぎと癒しを感じられる動物園を造って、市民へ恩返ししたい、特に子どもたちに喜んでもらいたい、恐らく黒神さんはそう考えたのでしょう。
 ペット自体が珍しかった当時、犬や鳥、サルまで飼っていたという黒髪さんが、動物園設立を思い立ったひとつのきっかけとして、面白いエピソードがあります。

歴史と今.jpg市議職の黒神さんの元に、旧知の三田尻(防府市)駅長が訪ねてきました。北海道からアイヌの熊使いが防府にやってきたものの、帰りの電車賃がそこをつき、駅長が旅費を立て替えてあげました。すると、その熊使いは大変感謝して、お礼に1頭の熊を置いて帰りました。しかし、とても飼うことができないため、何とかならないか、と相談に来たのだといいます。
 そこに「飼ってもいい」という経済人が現れ、黒神さんは早速トラックを手配して熊を防府から徳山へ運びましたが、すっかり成長していて、その経済人も「やはり飼えない」といいます。困った黒神さんは、数日間平和通にあった自宅で飼った後、親子連れに喜んでもらおうと、徳山競艇で一般公開しました。やがて動物園が開園し、この熊は、無事、安住の地に移送されました。前徳山商工会議所会頭で遠石八幡宮の公直さんは、「父は動物が好きだった。熊のことは私も良く覚えているが、どうにかしてあげようという気持ちが動物園建設のきっかけになったのでは」と話します。

現在、マレーグマのツヨシ君が“困った”ポーズで、全国人気になっていることを思うと、動物園建設のきっかけを作った動物が“熊”というのも不思議な縁です。

徳山動物園発展を支えた先人の努力。
全国でもいち早く自然保護活動に参加、若くて健康な動物を集める。

象.jpg開園当時、大きなインド象見たさに多くの人が檻を囲んだ。開設時の市長黒神さんの熱い志に応え、動物園発展の基礎を築いたスタッフの中心だったのが、獣医の片山望さん(現在75歳)でした。
 片山さんは、香川県高松市の動物園にいましたが、その手腕を高く評価した黒神さんが直接連れてきた人物です。開園の半年前に赴任した片山さんは、技術係長として、全くの素人だった飼育員を指導し、動物の搬入、檻の整備に至るまで、あらゆる業務を担いました。
 開園時に、世界各国から集めた動物は、80種350点。片山さんがこだわったのは、若くて、健康な動物を仕入れることでした。若い健康な動物ばかりを揃えることは、動物園の世界ではかなり厳しい作業でしたが、片山さんの人脈と力で、それは実現されました。
 公営動物園は予算も限られ、市の財政が厳しいときは整備もままなりません。しかし、徳山動物園は若くて健康な動物ばかりだったため、開園数年で繁殖期を迎え、新たに動物を補充しなくても良かったのです。
 片山さんが在園していた10年間で人気があったのは、バイクに乗るチンパンジーのチーコです。テレビや新聞がこぞって取材し、一躍人気者となりました。徳山動物園は、全国の動物園の中でもいち早く野生鳥獣の保護活動に取り組み、WWF(世界自然保護基金)の活動にも参加しました。現在も熱心に活動に取り組んでいますが、当時も広島のデパートなど各地でチーコが芸を披露しながら自然保護を訴え、大きな注目を集めました。

開園.jpgこうした功績を残し、片山さんは請われて宮崎のフェニックス動物園の園長として転任し、今も宮崎に住んでいます。片山さんは、「47年間の動物園生活で、徳山での10年間が一番思い出深い『お前の好きなようにやれ』と言ってくださった黒神さんの言葉が、今でも忘れられない。緑を残してあれだけのものを整備したのも、黒神さんの功績。今も徳山動物園の人気があると聞いて、本当に嬉しい」と喜んでいます。
 昭和44年度からは動物園北側が遊園地として整備され、昭和53年には遊戯施設が作られました。
 その後も年間30万人近い来園者が訪れるなど人気を誇りましたが、最近は、レジャーの多様化からか減少し、平成16年には約22万人にまで落ち込みました。しかし、平成17年度はツヨシ君人気もあって26万人まで回復しました。
 平成17年末、妻のレーコが死去し、ツヨシ君のポーズは「封印」されたにも関わらず、この年に始まった「ズーわくわくサンデー」など、動物本来の魅力を伝えるスタッフ手作りの企画が大ヒット。18年度は26万4千人を突破し、ツヨシ君のポーズ復活も手伝い、今年度は、これを上回る勢いです。
 その発展の影には、今も昔も、動物達を愛するスタッフたちの愛情と熱意が常にあったのです。

徳山動物園は、日本で初めてマレーグマ繁殖に成功した。 これがつよしくん人気の発端だった。

ツヨシとマーヤ.jpgツヨシ君は、ミャンマー生まれ。今年で21歳を迎えますが、人間だと50歳過ぎくらいです。平成6年に徳山動物園にやってきました。
 徳山動物園では、昭和41年からマレーグマを飼育し、昭和50年8月には日本最初の繁殖に成功しました。その8年後に生まれたのがツヨシ君の奥さんだったレーコ。レーコは、2年前の12月に亡くなりましたが、全生涯を徳山で過ごしました。
 ツヨシ君の「困ったポーズ」はスタッフの間では評判でした。平成17年8月、この話を聞いた新聞記者が記事にしたところ、次々と取材が訪れ、翌年には人気バラエティ番組がこぞってツヨシ君を取り上げ、たちまち全国の人気者になりました。

ツヨシとマーヤ2.jpg実は人気が出る前、ツヨシ君には名前がありませんでした。取材で訪れた人気ものまねタレントのホリさんが番組内で「情けないポーズに負けず、強くなってほしい」と名づけました。

エサを取られた後によくする仕種だった「困ったポーズ」だけに、レーコの死後、寂しさもあってか、あまりポーズをしなくなりましたが、昨年11月に2歳の若妻マーヤが嫁入りして以来、再び得意のポーズを連発するようになりました。

このため、再びマスコミが注目し、ツヨシ君人気が復活。マーヤがまだ人間に慣れていないため、以前のように「ぱくぱくタイム」ではエサやりを披露していませんが、エサやりの時意外でもツヨシ君は面白いポーズを見せてくれるときもあります。
 ツヨシくんグッズも発売され、連日、ツヨシ君の檻の前はたくさんの人たちでにぎわっています。

「動物本来の姿を見てもらおう」
スタッフの努力で、来園者増へ。

徳山動物園の人気復活のきっかけとなったのが、平成17年から始まった日曜日と祝日の「ズーわくわくサンデー」。午後2時半からのフライトショー、スタッフによる解説つきの「ぱくぱくタイム」やキリン、ゾウのえさやり体験があります。
 「なかよしコーナー」では、ヒツジとミニブタが新しく仲間に入りました。コーナー入り口でエサを購入すれば、エサやり体験もできます。
 「なかよしコーナー」の向かい側に、新たにウサギ・モルモットとふれあうことができるコーナーが増設されました。スタッフがウサギの抱き方などを子ども達にも分かりやすく教えてくれます。
 いずれも「動物が持つ本来の習性や特性を見てもらおう」というスタッフたちのアイディアと熱意が結実したものです。この熱意に応え、訪れる人たちが年々増えています。

職員.jpg

園内マップ.jpg

徳山動物園は一周わずか2Kmのとても歩きやすい動物園です。
園内には中国地区でも最大級の動物数が展示されています。
ぜひお気軽にお越しください。